2020_1206_153729 中書島
京都と伏見港の関係は、現代で言えば東京と横浜港や、大阪と神戸港の関係に当たると思います。
淀川→宇治川を船で遡上してきた物資は伏見港から陸路で京都に運ばれました。
或いは小型の十石舟に積み替えられて高瀬川を遡上しました。
昭和の初めまでは宇治川が京都盆地に流れ出たところは流路がはっきりせず巨椋池という大きな湖を形成しており伏見港はその畔で、水路で囲まれた島がいくつもありました。
秀吉の家臣だった武将、脇坂安治は朝廷から中務省の役人としての位を託されていて、
この島の一つに屋敷を構えていました。
中務省は、制度の手本になった唐では中書とよばれる役所だったことから、脇坂は周囲から「中書様」と呼ばれていて、屋敷のある島は中書島と呼ばれていました。
中書島と地名はそれが由来となっています。今でもこの場所は宇治川、宇治川派流、濠川で周囲を囲まれ、島であった名残をとどめています。
アルバム: ◎こ)交通機関・鉄道・踏切(京阪本線)
タグ: 中書島
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