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2022_0327_155547_中書島駅

写真: 2022_0327_155547_中書島駅

写真: 2023_0401_101023 宇治川派流 写真: 2022_0327_153521 大倉酒造

伏見は平安京の南にあり、平安時代は平安京の郊外の別荘地みたいなところだったらしい。
京都の聚楽第を拠点としていた秀吉も表向き、聚楽第を甥の秀次に任せ、伏見の屋敷に引っ込んで
秀次にちょこちょこと口出ししながら、と思っていた矢先に淀殿が実子の秀頼を生みました。
ここで秀吉は俄然若返り、再びデベロッパーに復帰。伏見城を建てて伏見の町を城下町に
変身させたかと思えば、秀次を高野山送りにして挙句は腹を切らせ、ここを政治の中心地にしました。

秀吉の時代に伏見の南側にあった、琵琶湖からの水がぐじゃぐじゃっとたまってできた沼地である巨椋池が太閤堤と呼ばれる堤防で川と沼に整理され、大阪に向かう港として伏見港が整備され、秀吉氏が権力を失って以降も交通の要衝として伏見は栄えます

今の東京に対する横浜、大阪に対する神戸のように、京都と伏見の間は水運やそれを補完する陸上交通が発達しました。
今でも京都〜伏見間は、近鉄・JR奈良線・京都市営地下鉄・京阪と4本の鉄道、それに京都市電を引き継ぐ市バス路線もあり、町の規模に大して交通機関は充実していると思います。

陸上交通のトップを切ったのは京都電気鉄道(のちの京都市電)で京都駅と伏見の間が日本で最初の「電車」で結ばれました。
市電はのちに少し延長され、京阪の中書島駅にも乗り入れていました。
この写真は元々市電の線路敷だった道路からとっており、京阪の中書島駅の駅舎の向かって左側、軒のようになっているところが市電の乗り場の痕跡になります。

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