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蓬莱山を照らす後光

写真: 蓬莱山を照らす後光

写真: 泉上にかかる橋 写真: 叫び

園内の中島というところにある石組みです。
石組みは蓬莱山を模したものだそうです。
蓬莱山は不老不死の仙人が住まう山とかそんなのです。

私がこういういい加減な説明文を書くことで、
ありがたみがどんどん薄れていく不思議。

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コメント (4)

  • nophoto_70_mypic.gif

    いいですよね、旧芝離宮(´∀`)♪
    私も、カメラを手にする前に、何回か行ったことがあります。
    橋が特徴的だったような・・(笑)

    ナイス後光ですね〜。松も美しいですね〜。
    蓬莱山は、竹取物語にも出てきますね。支那由来ですよね。

    2013年2月5日 00:22 退会ユーザー

  • ぼーもあ

    >sa_den 様
    橋はいくつかあるので、どの橋を指されているのか。
    多分、西湖の提をおっしゃっているのかなぁと思っていますが。

    日本庭園は枯山水の頃から中国仏教思想の影響は受けていますので、
    松や竹、蓬莱山や須弥山といったイメージが出るのは当たり前なのかなと。
    鎖国から明治維新でそれが独自のアレンジを遂げていったと、
    個人的には考えています。

    2013年2月5日 23:26 ぼーもあ (12)

  • 早起き鳥

    >蓬莱山は・・・私がこういう・・・ありがたみが・・・・

    そんなことないですよ(^_^)v
    始皇帝の命を受けた、徐福が蓬莱山に至らず、日本に来たとか何とかいう伝説
    もある位ですから、現代のiPS細胞の日本は不老不死の国かも

    2013年2月6日 20:05 早起き鳥 (6)

  • ぼーもあ

    >早起き鳥 様
    徐福伝説の下りで言うならば、徐福は殷王朝の血筋の人間を保護しており、
    始皇帝からの支配を逃れるために蓬莱山伝説をでっち上げて一族を連れて日本に渡り、
    それが九州にたどり着き邪馬台国の母体となった、なんて話を読んだことがあります。
    推論で記載された内容でしたが、漢書の奴国と魏志の奴国は同じ国ではない。(※)
    また、邪馬台国という日本列島の小国が朝貢関係を知っていた。
    という点に触れており、個人的にはなかなか興味惹かれる話ではありました。

    (※)同一国であるなら、漢が滅びた後の大陸の国(後漢・魏)とは朝貢関係を
       結んでいないのはおかしいのではないかという指摘をしていました。

    蓬莱山云々は私が中国の神話・歴史に疎いことがあり、調べるのも面倒であり、
    細かく記載出来ないので説明文のような記載になっています。
    ということを示して「ありがたみが云々」と書いています。(笑)

    2013年2月7日 02:02 ぼーもあ (12)

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